落ちたものはしょうがない

村瀬歩さんに担降りしたオタクの雑記

『さらざんまい』を観た

 

ひさびさに『さらざんまい』を見返しました。

リアルタイムで視聴して以来なので、約一年ぶりです。ちょうど今の時期に放送していたんだよなあと思うと、時の流れの早さを感じて焦りますね・・・。な、何もしていない。

そして昨年の今ごろと言えば、東京ソラマチで開催されていた幾原邦彦展」に足を運んでいました。たぶん4月末ぐらいに行ったような気もしますが、懐かしいな~と思い出します。ちょっと肌寒い日だったなあ。手元のパンフレットを眺めながら、ほんと開催が去年で良かった・・・としみじみしてしまいました。

 

そもそもイクニ作品とのファースト・コンタクト

幾原邦彦監督のお名前を覚えたのは、輪るピングドラムでした。

リアルタイムでは見ていなかったのですが、終盤ごろに「すごいアニメだ」とtwitterがざわついているのにようやく気がついて一気見した記憶があります。かの有名な『少女革命ウテナ』さえ観ていなかった私にとって、イクニ作品はカルチャーショックでした・・・星野リリィさんのキャラクターデザインもキラキラしていて、音楽も素晴らしくて。当時は二次元オタクを卒業しかけていたんですが、『輪るピングドラム』は何もかもが新鮮で、アニメってすげ~~~!!!と思ったのを覚えています。

それから幾原さんがセーラームーンに参加されていたことなどを知り、なるほどどうりで好きだと悟りました。

ウテナを見て、リアルタイムで『ユリ熊嵐』を見て。この『さらざんまい』です。

 

2周目は物語により深く没入できた

今回、改めて良いアニメだな~と惚れ惚れしました。

実質2周目の視聴となったわけですが、1周目よりもストーリーラインが頭に入ってきたように感じます。

「欲望」か「愛」か、というテーマが反復されながら物語の核心に迫っていく。つながりたいから「欲望」をあきらめるのでもなく、「愛」のためにつながらないのでもない。

はじまってしまった以上は関係大アリなんだから全部あきらめない!という一稀の強欲と、つながりを保とうとする燕太の執着と、つながりを守るためなら犠牲も厭わない悠の献身。そのつながりは「欲望」か「愛」か?なんて二元論を突き詰めれば喪失や絶望を生みますが、結局すべての動機って「欲望」ですよね。じゃあ「愛」って何だ?本当のつながりって何だ?・・・という物語だったのだと思いました。

とは言え、私はイクニ作品を観ても「わかったような、全くわからないような・・・」という感覚なんですけれど・・・でも、それが痛気持ちいい。わかったつもりになると痛い目見そうなヒリヒリ感と煙に巻かれる雰囲気の作品が好きなんですよね。厨二なので(笑)

あと、ビックリしたのが一稀の声が意外と低かったこと!

思い出補正?がかかっていたのか、もっとハイトーンな少年ボイスだった気がしていました。でも実際は、村瀬さんにしては低めな音域だったんですよね。幼少期~サラの女装まで声色のバリエーションが多かったので、つい先入観と女装の印象に引っ張られて「ハイトーンだった」と錯覚したのかもしれません。

そして燕太役の堀江瞬さんと悠役の内山昂輝さん。3人の声のバランスが素晴らしいですよね・・・堀江さんと村瀬さんの音域が似ていて内山さんだけが外れ値なの、11話を見ると「これしかねえ!!」と思います。そう、あの、川の中で天上から降り注ぐ歌ですよ・・・私の葬式でもこれを流してくれ・・・*1

どんな未来が来ようとも、たとえ喪ってしまうかもしれなくても、それでも、今この瞬間のつながりをあきらめない。手放さない。

尊い・・・・・・

お前らがゴールデン・トリオだ!!!と希望いっぱいの大団円に胸が熱くなりました。

 

魔法少女」じゃない変身バンクの発明

幾原さんって、どの作品でも変身バンクを活用されるような印象なんですが(違っていたらすみません)、この『さらざんまい』は大発明じゃないかなと思っています。

少女たちがメイクアップするのに対し、ひんむかれた挙句に尻子玉を抜かれ自身の欲望を晒す羽目になる少年たち。うーん、有罪。

とんだメタモルフォーゼだ・・・と序盤ではおののくわけですが(しかもカパゾンビの尻穴に体ごと突っ込んで尻子玉を抜かなきゃいけないし)(過剰なまでにキュートなキャラデザはこのためだったのか・・・と心底怯える)、物語が展開していくごとにどんどん「これでなければならない」感を増していくんですよね。魔法が使えるのは幾原さんであり内海照子さんのほうだった。すごい。

そしてミュージカル調。突然のWSS*2パロディ。幾原さんの過去作品を彷彿とさせる演出。面白いもの全部盛りのアンソロジーと展開のスピード感とわかりやすさと親切設計とハイクオリティ、回転してない回転ずしのようなアニメでした。

村瀬さんがインタビューで6話に言及されているのを拝見したんですが、確かに6話からギアが切り替わりますよね。

私は当時も今も一稀(というか矢逆兄弟)が好きなので6話は勿論エポックなんですが、6話以降は毎話クライマックスじゃないですか?リアルタイム視聴時は毎週毎週、あまりの引きの強さに生殺し感がハンパなかったです・・・

 

物語の解像度を上げてくれる『さらざんまい』

今回2周目をして強く思ったのが、「あ、たぶん今『ユリ熊嵐』見返したらもっと物語が入ってくるだろうな」ということです。

当時もそう思いつつできていなかったんですが、今度はきちんと『ユリ熊嵐』見て、できればそのままピンドラ見てウテナ見てセラムンR劇場版見て・・・と幾原監督作品を遡っていきたいです。

『さらざんまい』を観たことで、"イクニ作品への理解度"というよりも"物語の解像度"がどんどん上がっているような気がしています。このへんも『さらざんまい』が親切設計だなと思ったゆえんです。断然わかりやすいのにいくらでも深く潜れる気にさせてくれる。

というわけで、次は『ユリ熊嵐』を見返したいと思います。

私はスキをあきらめない・・・!欲望も手放さない・・・!

 

*1:すぐに葬送曲を考える悪い癖

*2:ウェストサイドストーリー